

趣味であるスノーボードに明け暮れる大学時代を過ごした梶野。決して学業優秀とは言えず、卒業も危ぶまれる状況だったが、当時の採用担当者の努力もあって大庄への入社が決定する。多少反骨精神の強い性格であり、義理深くもあった。入社3カ月目で六本木の店舗に異動。彼の波乱万丈ストーリーが始まった。
夜の「六本木」はまさに人種のるつぼです。会社勤めのサラリーマンやOLだけでなく、お店を閉めてから飲みに来る人、学生などいろんなお客さまがいる。エッジの立った人も多くてそれだけに楽しかったですね。一方で、同じ接客業をしているお客さまが多いのも特徴で、それだけにすごく細かく接客について言われました。寝る間も惜しむようにして働く毎日でした。でも人脈はものすごい勢いで広がっていったし、その分コミュニケーション力も鍛えられた。さらに、スタッフも若い人が多くて、打ち解けて仕事ができて、時には飲みながら接客についてアツく語ることもありました。余談だけど、明け方になるとちょっとわがままな女性のお客さまが多くご来店されて、メニューにないものばかり注文する。「○○アイスが食べたい! 店長いますぐ買ってきて」って、それで夜の六本木を走り回ることも多々ありました(笑)
当時の六本木は、数十件も軒を連ねていた「24時でクローズするディスコ」がキャバクラやカラオケに変わり、また、朝まで営業するクラブが流行し始めた時代。間断なく六本木を訪れる若者たちで、梶野の店も賑わっていたことだろう。さまざまな人間模様を楽しみ、また、気のおけない仲間とともに新しい取り組みをどんどん行う中で多くのファンを作り上げていく。彼ひとりが活躍したのではなく「周りも一緒に」というスタイルができていたところに成功のカギがある。そして、入社10カ月目から正式に店長に就任し、その後異動した店舗でも手腕をふるう。
異動先となった「所沢」の店舗では、アパレル会社や鉄道会社、公務員のお客さまにお世話になりました。学生時代からファッション誌をチェックするぐらいだから、アパレルで働いている同年代のお客さまから声をかけられることが多かったんです。僕も興味があるから話が盛り上がって自然と仲良くなる。そうすると職場の飲み会をしてくれるようになって。それからその職場の上司の方々も来ていただけるようになったんです。
プライベートを充実させることができたらすぐ100%になります。プライベートの充実が良い仕事をするためのキーとなるから。それから、彼女を作ってイイお店にどんどん行きたい。思い描いているプランはたくさんあるけど1人だから行けないのが悩み(笑)

新卒たたき上げの部長。どんなに辛くても、部下は放っておけない人情派。

- 38歳

- B型

- スノーボード
そのアパレル会社の副支店長は、いまでもお付き合いがありますが「たこぶつ」が大好きで。毎回頼んでくれるから、いつもてんこ盛りにして出していたらすごく気に入ってくれて、最終的には支店長まで来てくれるようになったんです。まさに支店ぐるみでごひいきにしてくれた感じです。いつもお客さまの表情とテーブルばかりを気にかけていたから、まず気づくこともできた。そこからが勝負です。
人は、ふとしたことでも誰かに覚えてもらっていたり、気遣いをされたりすると嬉しいもの。それを梶野はお客さまに対して自然に行えるようになっていた。持ち前の人思いの性格に、先の六本木店でさまざまなお客さまとのコミュニケーションの経験が加わって、より細かい気配りができる店長として成長した。ここまではおおむね順調であった彼だが、さらに異動することになり、徐々に歯車が狂い始める。
所沢から「東久留米」に異動してからは、毎日逃げたくて仕方がなかった。前任が60歳のベテラン店長だったから、お客さまに比べられてしまって。それで売上が下がったときはかなり落ち込みました。以前とはまったく客層が違うし、それで前任者が作った前年の売上の半分もいかなくてね。最終的には90%までは戻したけど、その段階でまた六本木に戻ることになったんです。そのわけは、僕がいなくなったってからというもの六本木の業績が徐々に悪化していったから。それからというもの、所沢、東久留米、六本木をぐるぐる回っていました。
その頃は、大庄が株式上場前後の拡大拡張路線を推し進めた時期。梶野のような人材は建て直しのために業績のあまり良くない店に配属され、彼が手塩をかけて育てた人材も新規に開店する店舗に配属していたのだ。そのため、梶野が去ったあとに彼のDNAはほぼ残っていなかったのだ。
売上が上がって利益が出てきたら、また別のお店に異動…。だからずっと状態のあまり良くない店にいるような感じでした。その間、店長も育てたし、スタッフについては何十人も育ててきた。でも、人が留まらないので、せっかく売上を出せるようになったお店がいつのまにか悪くなってしまうんだよね。それで正直ツラくて腐りそうな時期もありました。
そんな梶野にも報われる日が来た。頑張りをずっと見てくれていた別の上司がいたのだ。
当時の私にとっては正直転職をも考えていたぐらい。でも、タイミングを合わせるかのように違う部署に異動になったんです。そのきっかけを作ってくれたのがいまの上司です。実は、私が悪戦苦闘していることをしっかり見てくれていて、それで引き上げてくれたんです。その上司とは「2カ月で業績の悪い店を建て直すこと。達成できたらブロック長に昇格」という約束を交わしました。結果はもちろんきっちり2カ月後に昇格。あのチャンスをくれた上司をいまでも心から感謝しています。
大庄という直営約600店、社員3千名以上の大企業において、特筆すべきは一人ひとりの頑張りがしっかり見られているということ。頑張っていれば見ていてくれている人がいて、いつかは報われるという良い例と言えるだろう。当時、若干27歳。入社して5年目での昇進だった。その後、ブロック長から次長、部長へと出世していく彼だが、さらに大きな正念場を迎えることとなった。
ブロック長になった頃は、自分が育てた店長ばかりの店舗を任されて仕事がやり易かったのですが、次長になったのちは最終的に44店舗を任されることになったんです。担当エリアも東京、千葉、神奈川と広域でしたから、まさに一日中移動している状態です。物理的にも肉体的にも精神的にも限界でした。あと少し頑張れば楽になるはずだ、このままいけばもうすぐ部長になれるという思いでひたすら走りました。きつくて、きつくてしょうがない、でも部長になれば生活も変わるだろうって。いまだから言えますが、実はこのとき外資系の企業からスカウトされていたんですよ。年収が倍になると言われて、正直ものすごく揺れた。でも、考えに考え尽くして最後に浮かんでくるのはこれまで育ててきた店長やスタッフの顔。彼らを置き去りにはできないなってこと。「人臭くて泥臭い会社」と「ほっとけない仲間たち」、いまの自分があるのも入社以来かかわってきた多くの人のお陰だなって。
梶野はスタイルも良く、体に良くあったスーツをセンス良く着こなしている。一見しただけではそんな人間臭い部分を感じることはできない。しかし、その内はまったく違った。大庄の拡大期とともに成長し、どんなに辛い現実からも逃げ出さずにきた。そんな彼に、今後の課題を聞いた。
いまの課題は次の部長を作ること。下に控えている人がたくさんいるから、どんどん上に引き上げてあげないと、目標が持てないと閉塞感がでてしまうから。個人的な課題はプライベートが充実した部長になることです。良い仕事するためにはプライベートを充実させてないとダメだと思っています。忙しい忙しいばかりじゃ、誰も次長・部長になりたくないって思うでしょ? もっと良い仕事をして会社をよくするためにプライベートを充実させようと思っています。


















